2021年7月28日水曜日

もう一回と願うならばそれは複雑なあやとりのようで

自分でぜーーーーーーーーーーーーんぶ動かしていくの大変すぎドライブにもコンビニふらつくのもしたいしたいしたいです泣きたい

2021年7月22日木曜日

戦場のガールズライフ

https://youtu.be/DQ9X9HSwR7Y

この映像をみて、言葉の強さが担保する力というのを感じた。言葉がいいので、すごくサラッとした佇まいで歌われても響く。そういうことがニュアンス抜きの演劇でもあり得るのではないかということをふとバイトまでの道のりで考えていた。目の前のホームでカップル男の方が女の顔についたなにかを覗いて取ってあげていた松陰神社前

2021年7月21日水曜日

走る僕ら回るカメラ

演劇は戯曲という形で保存されるけど演劇それ自体が保存されることはない。だけどカメラで君を撮る瞬間のその瞬間のまぶしさはわかるしわかりたいと思って撮っている。


カメラで撮るその瞬間が、撮りたいと思えたなにかがそこにあるように、演劇においても、見たいと思ったものがそこにあるように想像できたらそれはすごくいい演劇なんじゃないか



2021年7月20日火曜日

いつだってSOULはすごくハード

リスカ跡は自然のタトゥー!(だせー)お金ないと生きていけない、めちゃ貧乏貧乏びんぼー演劇やってたらどうして作演出家超貧乏なんだろう先輩怖い演劇やめたいやめないぼくにとって祈り光仕事多いどうしてこんなに浪費してるんだアイドルラブ26歳まではがんばるとなんとなく決めていたのでがんばっているなんともならなかったらおわりうそっぱちかもねいやほんと

2021年7月19日月曜日

遠くまで旅する恋人にあふれる幸せを祈るよ

制作足りてねーから演出部みんな病むんだろ!相談できる相手がいないからみんな病むんだろ!ということなんてこころの内側にそっとしまうことしかできないねメモリーオザケン聞いて元気出しましょう号泣今さら病むようなプライド一切持ち合わせてないわたくしです基本的に毎日死にたいしなにをみても苦しい死にたいが今日もなんとかその死にたいの肯定のために生きるというのが高校生の夜からずっと続いているアパートに住んでると常に飛び降りできないか考えてしまうので窓を開くと庭があるくらいがいいのかもしれないワンダーしか逃げ場がない食欲?今朝はグラノーラ50グラム死にてー死にたくねー映画観るこわい先輩(好きな先輩じゃなくてハロヲタならわかるだろ?)こわいがんばる恐怖てめーのためにもいじわるなので死にません!!!!!強い気持ち強い愛晴海埠頭はオリンピック選手村になりましたそんなクソみたいなことばっかだなだましだましやっていくしかないのでカメラ使いましょうカメラ自分の内側にあるカメラだけがほんとのほんとうのことだから

2021年7月9日金曜日

ほんとのこと知りたいだけなのに夏休みはもう終わり

 美容室で、映画の半券をスマホケースに入れていたら、ミニシアターとか観られるんですか?って角度から話がはじまって、コミニケーションのボールってこういうことなんだなって思った。

事務所でムニはうまくないよね笑、今後の課題は戯曲と俳優ですねみたいな話をされてそうですか笑という気持ちになりながら話を聞いていたが正直悔しい。演技ってなんだろう。

ぼくが生き生きした演技!みたいなものを信頼できない決定的な理由に恥ずかしいってことがあるとして、どうして恥ずかしいとか思うんだよってことになってきた時に、恥ずかしいとか演劇で言ってらんねーだろ!的なカウンターって絶対ある。シティー感!おしゃれ感が好きだから!ってことも理由の一つかな。人前ではさっとこなしちゃう軽やかさが好きだから、演技!アツアツ!みたいな感じ好きじゃないのかな。テレビってそんなにワクワクしながら見てねーじゃん普段!みたいな感じ。普段から自分はどこか冷めて世界を見ているところがあるのかもしれない。

「ほんとのこと知りたいだけなのに夏休みはもう終わり」の夏休みが永遠に続いている感じで生きた心地あんまりしないのよね。

だけどああ、クラブたのしかったな!みたいな記憶って掘り起こせばあって、ああたのしかったな!ってことやほんとは好きじゃないし好みじゃないけど楽しかったな!ってことって結構本当って感じがする。本当の感情を見せるってどういうことなんだろう。

2021年6月14日月曜日

6.13

同居人に宮崎さんのやっているニュアンス抜きは男女の性を中性化させるために行っているのか、どうなのかと聞かれて、演じることがわからないから、はじめたけど、どうなんだろう、結局そう見える人がそう見えるような役を演じるのが演技なんだろうか、とか、そういうことからわからなくなっている。ぼくはそのルートからそれてもよいのか。(日本の)演劇には形式と中身が一致しているようなジャンル分けがないから、形式を選択した時に、よく中身がないという言い方をされることがある。戯曲における演出ということだと思う、というような話をした。

行われている演劇はだれのための演劇なのか、その演劇の想像はどの程度必要なのか、人は終わることを前提にしながら生きている、その終わることが演劇にとってもぼくはこわい。それが感動ってことなんだろうか。

いわゆる社会性と言われているものへの抵抗感のようなものがあって、唯一社会と結びつきながらも、個人性の強い貧乏という感覚はわかる気がしている。