2019年9月19日木曜日

わたしは消費されることに対してどんな風に思ってんのかな、でもおもしろいならいいか、ギリギリの状態がいいな

近所

最近、近所に住んでる人と知り合って、使わないからと、ウクレレを貸してもらった。
仕事でゴムを作っていると言っていたので、話を聞かせてもらった。

わたしは、どのくらい、わたしのために時間を使えているだろうか。
わたしのために時間を使うことは、人と真剣に向き合うことにもつながるのではないかと思う。

わたしのからだはわたしにしかわからない。

みやざきは生きている!

2019年8月14日水曜日

内側と外側

だれかの内側と、じぶんの内側が同じになったり、だれかの外側と、じぶんの外側が同じだったり、そういうことは結構あることなのかもしれないと思った。「君の名は。」の入れ替わるのは、ぜんぜん好きになれなかったのはどうしてだろうな。希望して入れ替わったからかな。不意をやったーとか、災難!みたいなアニーメーションとしての喜怒哀楽で片付けちゃったからかなー。もうちょい考えよか。

じゃあ宇宙規模で考えるとどうなんだろなとか、そういうことでもある気がするけど、これもやってるけど好きになれないのはなんでかな。軽いからかな。偶然感がないからかな。わたしはもっと偶然に信じていたいんだよな。

からだがガチモードになると、受容体のからだになるから、いろんなことをからだに反映していくことができる、みたいな感覚が伴う。理不尽に思ってること、その場の空気、全部、受け止めて形にしていく、というようなからだができあがる。

2019年8月13日火曜日

なつかしさについて

なつかしさとはなんだろう。学校の裏道を毎朝通っていたという話を聞いた時、わたしはなんだかその道が自分が通っていた、夏の、蝉が鳴いている、学校までの坂道と繋がったような気がしてしまった。けれど、今、わたしがなつかしいと思うこと、今を感じることにも、昔は含まれているから、本当の昔を探すことを必要とするのかな。

チャーハンめっちゃラブ

かにチャーハン食べた。同じものを食べるって結構レアかも、ってことに今更気づきました。かにチャーハン食べて、同じ空間で話してる時、胃の中にかにチャーハンあるから、かにチャーハンを言動力にしてお互い喋ってるってことになるじゃないですか。かにチャーハンを言動力にして、景色に感動しながら、歩いてて、胃が同じってことじゃないですか。



胃が同じ!!!!



挫・人間の「チャーハンたべたい」という曲を見っけた。チャーハンめっちゃラブ!

2019年8月5日月曜日

幸せならいいんじゃないかな、

最近言われて嬉しかった言葉は、「みやざきさんと仲良くなってから、夜一人で歩くのも楽しくなった」で、最近むかついた言葉は、「〇〇くんの彼女?」で、わたしには名前があります!と思った。

自分から恋人がいること・いないこと、を発信しようとも思わないが、恋人がいないほうががんばれるだとか、必要ない、という発信を見ることのほうが、なんだか、多くてなんだかなぁ、と思う。どっちもそんな特別に言うことでもない気がするんだよなぁ、しあわせならええやん、がんばってるならええやん、一人楽しいなら、時々さみしいけど、それでええやんみたいな気持ちになってしまう。

というのは、自分が幸せならそれでいいんじゃないかなあ、と思うし、自分が恋人に頼らずに生きていけるとか、自分のことで精一杯とか、そういう自分の価値観を人に押し付けないでいいじゃん、自分がそれでいいならハッピーじゃんという。だから、別に、結婚することを普通のことだとも思わないし、同じように、恋愛しないことが、仕事や芸術を頑張ることができることだとも思わない。ほんとうに、人それぞれだと思う。一人だって楽しいもん。わたしは一人の時間がないと無理だし。

両方やってます、も別にえらいともなんとも思わない。それは、あなたが、選択したことなんでしょう、と思う。わたしは、別に社会的な立場でこのブログを書いている訳ではなくて、ごく、個人的なものとして、これを書いている。恋愛も、仕事も、両方やりたい人がやれて、仕事をがんばりたい人は仕事を頑張れて、そんな風になったらいいのにな。

わたしは、わたしのこと好きな人のことをめちゃくちゃ大事にしたいと思っている。みやざきさんもみやざきさんの演劇も好きだと言われている、すげー!!!がんばるぞーーー!!!わたしはわたしの演劇をこれまでと同じようにやっていくし、多分本を読む量も映画や演劇をみるのも、調べる時間も書く時間も変わらない。言いたいのは、時間減らないし、というようなことです。君100パー!みたいになることがない、普通に好きだけど。めっちゃ好きだけど。めっちゃ好きやから、大事にしたい。わたしがわたしの頑張れることを頑張ることがいいような気がします。わたしの好きな人はよく寝るし、よく食べるし、料理がうまいし、おいしいものを知っているし、演劇もがんばっている、健康的でいいと思います。

どうだろか。

名前

わたしのことを「みやざき」と呼ぶ人は結構少ないことがわかった。大体、大学時代演劇してて仲良かった4人くらい。あとは、大学時代の演劇サークルの先輩たち。今一番会ってる人たちは大体「みやざきさん」と呼ぶ。「みやざき」として出会った人と、「みやざきさん」として出会った人がいる。「れな」と呼ぶのは地元の友だちくらいかな、たしかに。「れなちゃん」は時々あるかも、年上の先輩。だから、「みやざきさん」と呼ぶ人にとって、わたしはずっと「みやざきさん」なんだと思って、それは結構面白いことだなと最近思った。多分、わたしも、今、どこかにいる、「その人」、に出会ったとしても、どんなに仲良くなっても、「その人」として、会った時の人称が残り続けるんだなと。これからの人生でわたしはもう、あまり「れな」と呼ばれることはないのかもしれないな。
れなちゃん、れなちゃんと呼ぶのはわたしのおばあちゃんくらいかもな。れなと呼ぶのは家族くらいかもな。

なんとなく幸せ

どうしたって、人は、自分の思っているように人があってほしいと思う生き物なのだから、わかりあえないことは当たり前だし、わかりあえたときはうれしい、そんな風に考えている。だから、自分には、劇団という制度は向いていないように思う。わたしは、わたしのやりたいことを作品にしているし、人は変わっていく生き物なのだから、集団にしばられないほうが、いいんじゃないか、いつも一緒にやる人、のようなものはあるけれど、それでもわたし一人のために「ムニ」はあっていいし、それはわがままとは違うかたちなのだと思う。


2019年6月9日日曜日

君のことを頭がおかしいと言う人がいたとしても

お前は頭がおかしいと言われ続けてきた。大学の演劇サークルでも同期の女子たちから、悪口を言われたり、よく思われてなかった。大学の時、涙が止まらずパニックで呼吸できなくなって当時付き合ってた男の子の家で発狂して、頭おかしいと怒鳴られて玄関で泣きつづけた。みたいなことがあった。

俳句をやってたんですが、年配のおばさんおじさんに「お前の俳句は短歌だ」
と言われたり、飲み会の時に男女で差別されたりとか、〜の女みたいな扱いをされるということも受けてきて、でも、仕方ないよ、と大人になだめれれて、クソが!と思いながら泣きながら家に帰ったみたいなこともあった。

なんかわかんないけど、頭おかしい訳じゃないのに、頭おかしいってくくられることがムカつくんだよな。頭おかしいってまともに言ってくるお前のほうがよっぽどおかしいよ、ってわたしなんかは思っちゃうな。

わたしの人生は大学の外で演劇勉強しはじめたことと、オルガンメンバーに出会ったことで結構救われた。

それが好きなことかはわかんないけど、できることをやってると、ただ続けたり、発見して考えたりしていると、かならず結果はついてくる気がする。


今のままの君がすてきだよ。


2019年3月4日月曜日

帰省



3月2日土〜4日月まで高知に弾丸帰省しました。

いい思い出ランキングを作るなら、

1、ひばあちゃんと会ったこと
2、友達とスナックに行ってママに恋愛相談にのってもらってダメ出しされたこと
3、花粉症軽減の耳つぼを押してもらったこと

老人ホームにいるひばあちゃんの手を触ったら、木みたいだった。内側の手の使う部分だけに肉が残っていた。人間は最後まで耳が聞こえるという話を聞いた。声を出してひばあちゃんが話をしていることがすごいと思えた。

京都から地元に帰ってきている友人と、地元で就活している友人と三人でのんだ。二軒目でスナックにいったら、ママにあれこれ聞かれたが嫌な気はしなかった。その恋愛はとても不幸なのでやめなさいと叱られた。同じことを友達二人にも言われ、少し客観的に捉えられるようになった。ママ、友達たち、ありがとう。

花粉症のツボを押してもらった。映画好きのおじさんで、いっぱい映画のDVDもらった。いっぱいみまーす。

かなしかった思い出ランキングを作るなら、

1、実家でアレルギー性鼻炎が悪化したこと、実家が他人みたいだったこと
2、本棚の整理をしていたら、母が読んでいた本にレイモンド・カーヴァーが含まれていたこと
3、ことごとく誰にも似ていないと言われること


とてもかなしかった。実家がどんどん自分の家ではなくなっているのだなと感じた。私は父親が好きだが、母親とは割とうまくいってないが、気持ちもわかるけど、みたいになる。母は声が大きい。自分が知っていることをもってひけらかすようなところ(そのつもりはないのはわかっているのだし、そうでないこともわかっているけれど)父をバカにするところもあまり好きじゃない。父にも悪いところがたくさんあることはわかっているのだけれど。妹はもうすぐ家を出る。「夫婦」に次のステージが来ているような気がする。ほんとうに好きで結婚したんじゃないのかな。ほんとうにずっと好きではいられないのかなあ。ほんとうに好きな人とは出会えないのかなぁ、結婚できないんですかね。

わたしは強いて言うなら、父に似ていると言われるが、父の父(見たことがない)に似ているのではないかと勝手に思っている。母は父の父を知らない。私も知らない。けれど、わたしの周りには、それくらい、そのことに思いを馳せるくらいにしか、わたしに似ている人はいないのだ。




2019年2月7日木曜日

2年間のこと

「須磨浦旅行譚」が終わった。大学に入り、演劇をはじめてからの2年間いっしょに作品を作っていた藤家くん、山口さんとは、一旦さよならしましょう、ということでそこから、それぞれの活動をはじめていた訳で、今回また集まって作品をつくることになった。そういうことになるとは思っていなかった。制作の栗山さんも演劇をはじめたころからの仲で、みんなと別れてからの2年間の間につくった「ムニ」にも関わってもらっていた。栗山さんにはわたしが演劇をはじめてからのすべての公演に関わってもらっている。今回の公演にはそんな、4人があつまった。

公演を終えると、あらためて、わたしの知らない2年間をこの人たちは過ごしていたんだなと感じることが多くて、それはわたしの2年間にも言えることだった。わたしの知らない2年間の間に、藤家くんはメールをちゃんと出せるようになっていたし、俳優としても自分のことばや体を持ち合わせていた。山口さんはそんなに変わっていなかったのかもな。でも、舞台監督の心強さはいつもどおりだったな。栗山さんは、わたしがお願いしている以上の仕事をいつもしてくれる。ほんとうにいつもありがとう。

わたしは多分前よりも演劇に詳しくなって、演劇が好きになって、戯曲のメソッドだって知ることにもなったし、演劇のつながりも増えた。演劇が好きだ。これから、一生演劇をしていきたい。その覚悟を、だれも見ることのない、ここに書いておきたい。

2年まったく会わないうちに、変わっちゃったわたしたちと、変わっていなかったわたしたち。



2019年1月15日火曜日

素材の食べ物が好き


よく何を食べたいかわからない問題が発生するのですが、「きみが普段食べているもの、好きな食べ物、そうだね、素材だよ」と言われ、そうか素材なんだな、と思った。料理はそんなに得意な方ではない。友達が家に来て、野菜パックを買って野菜炒めにして、サッポロ一番の上に載っけて食べた。合宿みたいなご飯だねと言っていた。

よく、なぜあなたがそれができないのかわからない、と言われることがあるけど、できないもんはできないと思わなくはないが、がんばりますと言うことにしている。できるようになるようにがんばります、時間かかるかもだけど、そういうプラス思考でいたい。

わたしがパニックになっていても、どうすればいいのかわからなくなっていても、自分でどうにかするのを待ってくれる周りの環境、涙がでてくるな。わたしはわたしの手でできることにとにかく力を尽くす、どこまでも、的なことが目標だし、今もそう。ちょっとずつわかってくることがあるはずなんだよな、続けていくことが大事、多分。向いている人と向いてない人がいるから、分業すればいいと昔言われた。わたしは向いていることをまじで全力でやるしかないのかもなー。

なんとなく小さい頃から書くことを仕事にしたいな、するんだろな−という謎の自信で続けてきたし、なんとなく向いてたんだなーやっぱみたいな気でいるけど、この前おじさんと結構喧嘩した。甘い!と言われた。わたしはそれでも大林宣彦好きだし、って言ったら、あのひとの脚本はあんまりよくないと思うと言われた。なんなんだ、喧嘩したけど、ニール・サイモン全集持たしてくれた。また来なよと言われた。だから、わたしはウェルメイドそんな好きじゃないっつーの、はぁ。

この一年は、たいせつだと思うものを、ちゃんと、たいせつにしたいな。