2021年5月5日水曜日

個人履歴

 個人履歴

1996年高知県土佐市にて誕生。乙女座のA型。演劇カンパニームニ・宮﨑企画主宰。土佐幼稚園を経て、戸波小学校へ。中学受験に失敗し、戸波中学校へ。生活綴り方教育の影響で、生活作文と俳句に熱中しながら日々を送る。

2012年、私立土佐高校に入学するが、勉強はせず、図書館と情報室、美術室に入り浸る。倉橋由美子、柴崎友香などの作家の本、寺山修司の戯曲を熱心に読む。俳句同好会を立ち上げ、第16回、17回俳句甲子園に出場。情報室でお好み焼きパーティーをするなどして遊ぶ。成績は国語以外悪かったが、個人推薦入試で大学に合格し、2ヶ月間おばさんのいるカナダでのびのびと過ごす。バケーションで行ったメキシコのビーチで1週間泳ぎまくったのが楽しかった。

2015年、明治大学文学部文学科入学、上京。唐十郎が入っていたという理由と、寺山が好きという理由から演劇サークル「実験劇場」に入会。東京に来たかった理由は俳句の面白い人と句会がしたかったから。俳句雑誌「円錐」と「群青」に入会、大塚凱、青本瑞季、青本柚紀、堀下翔の5人でトキワ荘俳句版のような日々を過ごす。

2015年冬~2016年夏まで「愛玩墓地」という名前で白塗りアングラの演劇を行うが、人との共同制作に向いていないことに気づき挫折。ひとり部屋で大森靖子を聞きながら号泣するつらい時期。太鼓の音の中で、白塗りの人がご飯に箸をぶっ刺すという演出をしていたのが今では信じられない。演劇に疲れた2016年秋、青年団『日本サポートセンター』を観て、平田オリザの私塾「無隣館」のチラシが挟まっていたので、試験を受けることを決意。アンケートに受けますと書いた記憶がおぼろげだが、ある。

2017年、無事、無隣館に合格。夏に「ムニ」を立ち上げる。俳句雑誌「オルガン」メンバーになった最初の仕事で、斉藤斎藤さんとの対談に強い衝撃を受ける。高山明ワーグナープロジェクトに参加。更に強い衝撃を受ける。だんだん「物語」への不信が興味に変わる。斉藤斎藤の『人の道、死ぬと街』を繰り返し読んでいた。

ほとんど映画を見るか、本を読むか、バイトはお金がなくなったらやるという自堕落な生活の中で、2018年たまたまツイッターで見かけたという理由だけで「犬飼勝哉演出部」に応募、『木星のおおよその大きさ』@こまばアゴラ劇場に参加。「宮﨑さん保坂和志読んでないの?」と勧められ、その後熱中。俳句の短さが取りこぼしている物語の可能性を感じ、俳句が書けなくなる。演劇活動に比重を置くことを決める。以後、ミニシアター通いがはじまる。当時一番好きだった映画はアピチャッポン・ウィーラセタクン『世紀の光』。

2019年、青年団入団の面談で「君は作家になりたいんでしょ」と言われ、たしかにそうだと思い返す、青年団演出部入団。事務所の鍵を間違えて締めてしまい、オリザさんを締め出す事件を発生させ、ひそかに話題になる。大学卒業制作として実質はじめての戯曲『須磨浦旅行譚』を執筆、実験劇場卒業公演として上演。ムニをはじめてから少しずつ友達が増え元気に制作をしている。

2020年『つかの間の道』の上演で少し自信がつく。コロナ禍でハロープロジェクトにどハマりし、中でもJuice=Juiceと工藤由愛さんに夢中になっている。他人にこんなに興味を持つのは初めてである。

2021年現在、戯曲を書く際に引用元が多いこともあり、表現の媒体は映画でも俳句でも小説でもいいのではないかと言われるが、そういう訳でもない。わたしは演劇を選んでいる。演劇を盲信することなく、演劇でないとできないことを今後も探っていく予定だ。