2020年3月3日火曜日

なんだか

自分はクソあまちゃんだなと思うことって多い
なのにさみしいとか悲しいとか苦しい悔しいとかそういう感情が湧いてくるもんだから
クソクソあまちゃんだなと思ってしまう
ついつい卑屈になってしまう

クソあまちゃんだなって思う暇があったら、
思考してほしいです

2020年3月1日日曜日

おこられた

大事(だいじ)にすることと大事(おおごと)にすることは異なる、たしかにそうだ。反省した。
ぼくは、まだ、大事(だいじ)にするってことがもやっとしているから、よくわかってないのかもしれない。大事(だいじ)にするってなんだろう。責任とかわからないって言ったら、大事(おおごと)にしすぎだと怒られた。

フラニーとゾーイのレーンのことをよく思い出してしまう。理屈っぽくてつまんないとわたしはよく言う。そしたらば、また怒られる。

2020年2月24日月曜日

27

27歳までとりあえず生きることにした だから27歳までは演劇やりこんだろと思う 27歳までの目標を立てた わたしは3年日記帳を使っているから23歳から25歳まで同じ手帳を使うことになってる 27歳までである程度まで行かなかったらとか考えずにやるのだという気持ちだけもって毎日生きるしかない 未来は毎日の積み重ね☆

動物と人間と境目と

愛ってなんだろうか。僕には、なんだか、まだ、その輪郭ははっきりとはわかってない、そんな気がしている。

たまたま隣にいた人を好きになって、たまたま隣にいた人が自分のことを好きだと思ったらしいタイミングでお互い育てていた花が咲いて、たまたま隣にいた人がたまたま私の演劇を面白いと思って付き合いたいと思ったらしい、そんな、たまたまに支えられて、自分であー、花も咲いたし、このひとだな、多分とか思って、なんとなく付き合っている。けど、多分なにかが、すごく変わっているとか、そういう訳ではないのだ。ほんとは、名前をつけられてはじまる愛のことを信じられないから、やっぱ、たまたまです、今もたまたまが続いてるんです、って顔をしているだけなのかもしれない。傍から見たら、それはたまたまの状態ではないって感じなのかもしれないけどさ。

たまたまって素振りをすることで、そのたまたまを自分で選んで、自分で選んでるから、このひとの側にいるんだ、ってことを、ただ、信じたいだけ、なんだと思う、なのかもしれない。わたしには、なにが、愛なのかはわからない。

好きだったら、同じ家に住んだり、将来のこととか、考えなきゃいけない、なんて、そんな、なにかをきっかけに名付けられたような、窮屈さは、仕方のないもののようにしか、わたしには思えない。わたしはなにがしたいのだろうか。

ただ、信じたい、信じているよって抱きしめたりとか側にいたり、したい、多分、ただ、それだけのこと、なのかもしれない。

できるだけ、ながく、ずっと、ドキドキしていたい。



2020年1月16日木曜日

なんかさみしい

なんかさみしい

家に帰って、なんか、ものすごくさみしい気持ちになった。寅さんを観た。

つかの間の道が終わった。しばらくわたしは、靴を洗ったり、下着を買ったり、自分の生活を整えることに尽力するだろう。

みんなどんな風に今日を過ごしているのだろう。

わたしは明日ウクレレの弦をはりかえようと思っている。


2019年9月19日木曜日

柱

わたしは消費されることに対してどんな風に思ってんのかな、でもおもしろいならいいか、ギリギリの状態がいいな

近所

最近、近所に住んでる人と知り合って、使わないからと、ウクレレを貸してもらった。
仕事でゴムを作っていると言っていたので、話を聞かせてもらった。

わたしは、どのくらい、わたしのために時間を使えているだろうか。
わたしのために時間を使うことは、人と真剣に向き合うことにもつながるのではないかと思う。

わたしのからだはわたしにしかわからない。

みやざきは生きている!