2019年8月14日水曜日

内側と外側

だれかの内側と、じぶんの内側が同じになったり、だれかの外側と、じぶんの外側が同じだったり、そういうことは結構あることなのかもしれないと思った。「君の名は。」の入れ替わるのは、ぜんぜん好きになれなかったのはどうしてだろうな。希望して入れ替わったからかな。不意をやったーとか、災難!みたいなアニーメーションとしての喜怒哀楽で片付けちゃったからかなー。もうちょい考えよか。

じゃあ宇宙規模で考えるとどうなんだろなとか、そういうことでもある気がするけど、これもやってるけど好きになれないのはなんでかな。軽いからかな。偶然感がないからかな。わたしはもっと偶然に信じていたいんだよな。

からだがガチモードになると、受容体のからだになるから、いろんなことをからだに反映していくことができる、みたいな感覚が伴う。理不尽に思ってること、その場の空気、全部、受け止めて形にしていく、というようなからだができあがる。

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